もともと「けものみち」だから。

ウェブに関連する仕事をしていることもあって、梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」を読みました。
書かれていた中から私が読み取れたのはこういうこと。
インターネットによって「知の高速道路」ができた今は、誰でも多くの情報にアクセスできる。だから、なにかについて専門知識を集めたいと思ったら、これまでのように地域や立場の格差に縛られることがなくなった。だから、専門性を活かす分野について、立場上で有利だった人よりも、熱意と才能、才覚のある人が、これまでの文化と比べて格段に活躍しやすくなっている。
逆にいえば、これまで、多くの人がアクセスしにくかった「これを知っていれば、ある社会で生き延びやすいという種類の知識情報」についてアクセス可能で、その既得権利を主な頼りとして生きていた人は、あとからやってきた人にいきなり追い抜かれる可能性が高くなったともいえる。
だから、既得権利にしがみついて逃げ切るような働き方を選ぶよりも、自分が熱意と才能を活かせる分野にシフトするのが、これからの有望な生き方、働き方なのではないか。たとえそれが将来を約束されていないような「けものみち」であっても、勇気と希望を持ってそちらに移っていこうではないか?

そして私はこう感じた。
説明されている状況について、ひとまずは納得。この書籍が向いている読者は、既得権利による生涯安泰コースが消えていくことに気づかなかった、もしくは、気づいておびえはじめている人々、なのだろう。
そして私の場合…もともと既得権利はあまり多くはなかった、そしてそれは主に「女性であること」「高学歴ではないこと」「特に人脈を持たない家の生まれであること」によるものだと感じている。なので、もともと「けものみち」だったと言える。そういう自分がウェブとずっと離れずにいたのも、情報を手に入れることによって生き延びる道を見つけていくための有利な手段として、いわば嗅ぎつけていたからかもしれない。
なので、そんな自分にとってこの書籍は、新しい視点をくれたというよりは、これからは私のような立場の人だけでない、より既得権利側、安泰サイドにいられた人たちも、けものみちサイドにやってくることになるのだな、そしてそれはたぶん、本人にとって勇気を奮う必要のある決断なのだろうなという感覚をくれるものだった。

私は安泰コースを隣で見ていたことはあるけれど体感したことがないから、自分の中で両者の感覚を正確に比較することはできない。想像でいうなら、たぶん、けものみち側に移動するときに、経済的な危機感と立場名を失うことの危機感が大きくのしかかってきそうだ。 ところで、どうも、若い人の中にはこの2つを無視するというか、お金も立場も、そんなに求めてどうするの?という超冷めた感覚を持っている優れた人たちがいるみたい。そういう人はべつに恐怖を感じてもいないし、この状況に悩んでもいない、もともとシフトする必要などないのだから。そういうわけで今回の話とは別なのだけど。
というわけで話を元に戻すと、その危機感を自分の中でてなづけることができたら、人は、状況を楽しんでやろうという活動的な、いいモードになるんじゃないかと感じる。じっさいある意味危機なんだから、無視するのは危ないし、でも、直面しすぎてモチベーション失うんじゃしょうがないし。危機感を持ち続けていることに慣れる、というしぶとさがあればきっと、選択を間違えにくいのではないか。正直なところ、もうどこにいたって、状況はじつは安泰コースにいたと思えてたときと変わらないのではないかと思うし。…というのが、「けものみち」を来た(というかそこくらいしかなかったんだもの)私の、いまの意見です。