ノアの箱舟の話をしょっちゅう聞くのには意味があるか

スピリチュアルの話ではない方面だと思うけど、結果的に近寄るかもしれないと思いつつ書く。
このところ、ノアの箱舟にまつわる話を見たり聞いたり人と話したりすることが何度かあって
不思議だったのでメモしておく。


たとえば、ハトがオリーブの枝を咥えているモチーフはどこから来たか。
幅30キュビトとかってなんの話しだっけとか。
しまいには娘が、これおもしろいよと、箱舟が実在したかもという
「世界の謎」っぽい本を借りてきたりもして。


箱舟話を聞くたびに思い出されるのが世の中の変化のこと。
不可逆の変化が世の中に起きつつあって、
ビジョンを描けるひとや、それを理解したり評価できたり
よいビジョンをクリエイティブに支援し実現することを生業とするひとと、
他者の指示を受けてそのとおりに行動をすることを生業とするひととで
暮らしぶりが分断されていく、というフェーズのことだ。


私は明らかに、後者の生まれであり、後者になるべく育てられた自覚がある。
でも前者の姿が、これまでになく近く見えていて、その考え方をいま把握しつつある。
雨が降り出す前に私は船に乗れるだろうか、と、ときどき考えている。

恨みがましさと怒りについて

ちょっと日が飛んでしまった。いろいろなタイミングでいろいろ考えていたことはあった。
どの時期にどんなことがあったか、過去日付を埋めながら書いていこうかと思ってる…。


フューチャリスト宣言」を読んだのが、この時期(6月20日ごろ)。
読んでいて、そうだそうだ、と思ったのが、
日本の「けものみち」在住者とシリコンバレー精神との違いで
日本には「恨みがましさ(ルサンチマン)」がある、というくだり。

弱者、少数派、という立場のひとについて、たとえそのひとが
自分の心に従った行動をとっている自信や自覚があっても、
どこか暗く、恨みがましいニュアンスを感じて「引く」ことがけっこうあった。

私自身だって弱者、少数派だけど。
恨みがましくしたくない、という意地のような、というか
そうしたら手に入るはずだった機会も去っていきそうな気がして、
弱音は吐いても、世の中に怒りをもったとしても、
恨みごとを吐くのは違うだろうと思って過ごしてきた。

怒りはエネルギーになるから、持ちようによってはいいと思ってる。
上記の本にもあったとおり。
私はこの本を読んで、その場かぎりの怒りではない種類の怒りについて
自分がずっと持っているもの(家族制度について、性別の扱いについて)を
肯定的にとらえることができた。
たぶんこの怒りは、私のライフワークを支えてくれるものだ。
もちろん、表出する形は怒りそのままにはしないつもりだ。


さてそれで、恨み言について。
これまで出合ってきた人のなかに、
わりと抵抗なく恨み言を吐いてそれで現状を変える行動はしないひとって多くて、
いつも、その選択について疑問を持ってた。
そこに上記の言葉があって、名前がついたことで一部整頓がついた気がした。


で、また数日して、そのことを人に話してみた。
そのとき、いろいろやりとりがあって、
シリコンバレーと日本の違いは、
日本人が甘えてるとかそういうことが主たる原因ではなくて、
問題はチャンスの量の違いなのじゃないかって思った。
シリコンバレーは競争も厳しいが、
ベンチャーに投資し、失敗しても見守る土壌は、日本と比べ物にならないそうだ。
強い心だけがあっても、きっとだめなんだ。勝算がなければ。
日本でがんばって、勝算を立てられるまでになるには、
投資家も投資金額や制度もメンターも技術交流も、日本には少なすぎるのかもしれない。
(じつはこの状態は、日本で子連れの独身女が自力で暮らしを立てていくことにも似ている)


現実が厳しいとしたら、恨みがましくしている人の理由は、納得できる。
でも、納得できるからって、そうするのがいいとは全然思わない。
水戸黄門の歌みたいに、くじけりゃ誰かが先を行く、だろう。より有利な誰かが。
努力やら根性やらのことを言うつもりはぜんぜんない。
泣いたり苦労したと思い込めるようななにかを続けたりしても意味はない。
不合理なことには怒りをもって、それをモチベーションにしてもいいし、
状況を見て戦略的に、苦労しすぎないで効率を上げる方法を考えて余裕を持ってもいいし、
でも、とにかく
自分の頭で考えてベストの方法を自分で選んで、いまできることをすることでしか
状況は変わっていかない。
ベストの方法は、ぜったいに、恨み言を吐くことではないはずだ。

絶望を自覚し、そして捨てること

いくつかの、数十年来の呪縛から私はこの数年で少しずつ自分を解放しつつある。
はじまりは離婚を前提にした別居からだったと思うけれど、
もちろん呪縛は夫から受け取ったものだけであるはずがなくもっと根深いものだった。
開放感は少しずつ大きくなり、
ときどきは足元が崩れるのではと思うような価値観の変動があり、
その中でできるだけしぶとく実直に生きることを続けた意味が
このごろ少し実を結び始めていると感じている。

私は気づかないまま多くのことに絶望していた。
そのことに気がつき、絶望込みの一見平和な暮らしごと、捨てるということを
いくつかのジャンルでしてきた。
そのたびに私の生活は変化し、その収拾には多くの物質的精神的コストが必要だったけれど、
そのたびに私の足はしっかりと土を捉えるようになってきたと感じている。


私が絶望していたことがら、そしてそれを自覚し、捨てた(捨てつつある)ことを
忘れないように書いてみよう。
・一生自分で食べていくことはできない。誰かに守られていなければ生きていけない。
・雇い主(夫を含む)の言うことをどれだけ受け止められるかで給与や立場が決まる。
・庇護を受けるためには好かれなければならない。そのために魅力的でなければならない。
・自分の力で生きることを選べば、周囲は私への協力や庇護をすべて打ち切る。
・自分の力で判断することを選べば、周囲の矛盾を指摘する結果となり、孤立する。
・思うように行動する、ということは、周囲に迷惑をかけ、義理を捨てる行為である。
・私が納得しても何も起きないが、相手を納得させれば評価や金銭が受けられる。
こんなものか。
どれも、ひとの根源的な生きる力を失わせる、相当たちの悪い思い込みだ。
こうして字にして並べてみれば、どんなにひどいことか改めて戦慄を覚えるけれど、
私にとってこれらの絶望は10歳の子どもの頃からカジュアルなものだった。
まるで気に入りの人形のように、私はこれらの思い込みを、邪悪なものとは知らず
身を守る智恵であるかのように抱えたままでいた。
私は病弱でもなければ、成績が悪いわけでもなく、
絶望を抱える理由をもつほどの個体の特徴はなかったのに。


おそらく、私の近くにいた人々の軽い絶望を私は吸収し続けたのだろう。
そして、それを拒絶する判断材料になるような、
暖かく強い、自ら前進する力、私の成長を喜ぶ力に出会う機会がなかったのだろう。
それは珍しいことだろうか?
私にとっては、それが生活のすべてだったから比較対象がなく、
その成長の場がどんなにアブノーマルなのか、それともよくある程度なのかがわからない。
ただ思うことは、
私は自分の子どもには成長を続けてほしいから、
決して私の育ったような環境を作らない、ということだ。
また、私は自分の絶望を(自分がされたように)他者に向かって発散しないように
してきた自覚もある。
そこから判断するに、おそらくは、あってはならない方法で私は育てられてきたし、
そのことを理解してもいたのだろう。
以前はそのことを暴き、「元を取る」ことに執着した時期もあったが
得るものがごく少なかったこともあり、
また、成長した環境から距離を置けるようになったこともあり、
私は糾弾に飽きた、というか、よすことを選べるようになった。


そして、私は上記のような絶望を捨てはじめた。
私は自分の稼ぎで食べていくことを実際、続けられている。
無茶な話には反論でき、それが論理的ならば相手が引き下がることがある。
ひとの中には私の成長を喜ぶ種類のひともある。
私が納得することで行動の効率が上がり、周囲にもよい影響を与えられることがある。

そんな発見をしてリアルに掴んでいくごとに、わたしは少しずつ元気になっている。
気づいていなかったが、私はなにかに半分殺されかけていた
(物騒だから言い方を変えて、むりやり眠らされていたと言ってもいいか)、みたいだ。
それがようやく、世界が原色で見えはじめているみたいに見える。

きっとまだいくつか絶望を抱えているだろうと思う。
ぜんぜん論理的ではないが、なにか「まだだ」という確信がある。
はやく気づきたい。そして、直面し、吟味して、捨て去りたい。
その瞬間は気分が悪いけれど、
そのあとに来るリアルな、地に足のつく快感を私は何度か得てしまったから、
きっとそれに釣られて、やれる。
はやく、やってしまいたい。
きっと私はまた成長できるだろう。
たぶんそれは、他者に与えるということについての分野だという気がしている。


ちなみにそのブレイクスルーは、苦悩の中で見えてくるものとは限らない。
なにかわくわくするもの、そっちに行きたかったけど私には許されてなかったこと、
というようなものに踏み込んで、勝ち取っていくというような表現が近い。
そして、勝ち取ったときには、軽い怒り(これまでの呪縛はなんだったんだ!)と、
力強い嬉しさ(なにか、これでよいという方向性をわかったという感触)がある。
そして数日で、それらの感触のあとに、
自分のOSに不可逆の更新が起きたようだという、これも感触がしみじみと沸くのだ。
不思議で、たのしいものだ。
あと何回、こういう感触を私は得られるのだろうか。
過去からの回復のことばかり考えているのも自分の本来のテーマでないらしいので
(解決すべき問題が目の前にある時期は集中するべきだと思うけど、
 いまはそれではない)、
ほかの課題についても目を配りつつ、変わりながら生きていくことを楽しみたい。


さて、自分から少し目を離し、他人のことも考えてみる。
私の場合は極端だから、かえって気づきやすく、捨てやすいということが
あるような気がしてならない。
私のまわりの、過去の私ほど絶望していない人たちの中に
軽い絶望が見えることがある。
考えても無駄。それは私の仕事じゃない。とか。
いろいろ頭にくることってあるけど、いちいち目くじら立ててもね、とか。
人様とはお互い我慢しあって、やっていくものよね、とか。
人生って、まあこんなものでしょ、多くを望んでも、失うもののほうが多いかもよとか。
それって絶望じゃない?それ、捨てたら生きていきやすいかもよ?と、
思うことがときどきある。
だけど、事態が深刻すぎないものだから、放置しても死ぬまでやっていけちゃう場合もありそう。
でも捨てたほうがぜったい、よさげなのに。
と、思うことが、ほんと、ときどきある。
まあいいや。自分のことを進めていこう。

状況を把握することは自信につながる

あとから書いた日記。
この時期に私は、仕事上の知識をさらい直す時間を得てそれを享受した。


私が理解していてしかるべき技術的な情報には3つほどのレイヤーがあったが、
これまで、私はそれがいくつのレイヤーに分かれているか把握しないままだった。
今回の自習で理解できた内容は、過去に作業効率を上げるのに必須の知識だったので、
当然ながら、その分野で私は過去に結果を出せずに苦しんでいた。


そうなった理由は人災とでも言っておこう。いま言いたいのは理由のことじゃない。

技術情報を把握しなおした結果、これまで混沌として見えた状況が整頓され、
問題解決に使える知識となって身についた。
いくつかのポイントを把握しないことには、その技術を理解することは難しくて、
平たくいえば「いくらぼーっと見てたってわかるわけない」のだった。
そして、そのポイントは書籍にも適切な形で載っているわけでもなく(ヒントはあったけど)、
Webにあるかと思えば誤った情報も混在しているし中途半端なのもあるしで逆に混乱を招く、
そういう種類のものだった。
把握して過去をふりかえって、
こりゃ、これまでの状況じゃ、わかるわけなかったわ!と、思ったものだ。
そうなったら、なにか結果を生んだわけでもないのに、なんだか地に足がついた感覚を得た。


状況を構造的に理解できないとき、ひとは自分を責めがちだ。
そして、自分を責めることがつらくなった場合には、他者のせいにしたり恨みがましくなったりする。
だけどそこで必要なのは、自分をいじめる努力でもなければ、他者を責めない覚悟でもなくて
状況を俯瞰するスタンスであることもとても多い。
自分ではベストを尽くそうとして工夫も実行もしているときに
(または、少なくとも悪意でサボろうなどとはしないつもりでいるときに)
結果がぜんぜん出せなかったり悪い状態にばかり陥るときには、
ほとんどの場合、原因は自分じゃなくて、構造的にほかのどこかに問題があるのだ、と私は思う。
見えてしまえば、解決策が考えられる。解決がムリでも、自信は取り戻せる。


それで思うのだけど、こういう場合に、落ち着いて状況を俯瞰するように育てられた人って少ない気がする。
少なくとも私はそういうふうには育ってきてないので、自力で獲得するのに苦労した。
問題解決のための状況把握 よりも 反省と努力と根性 が好まれる場というのは
わりとあるんじゃないかと思っている。
それだと、「おまえのせい」と言われた人がじっさい結果も出せない状況に追い込まれて、
状況を把握しようにも邪魔されて、自信喪失して去っていき、
ほんとうの問題点には誰も触れないままということになりそう。
こういう構図、多くない?


なんか繰り返してる気がするのでこのへんにしよう。
状況を俯瞰するのがひとりでは難しければ協力者を探してもいいかもしれない。
今むりでも、あとで状況が変わったあとまでしぶとく耐えて、
あとから「あれはなんだったのか」と俯瞰することで当時を意味づけなおす、ということは、できる。
いま身動きがとれなくて状況も把握できなくてつらいときも、ただ耐えるのではなくて、
チャンスが来たら把握しようと思って、自分のせいでない可能性を冷静に計算しながら待機することは
きっと、自分を守って、生かしていくのに役に立つことだと思う。

自分の責任で考えるということ

「自分の責任で考える」ということについて、
じつは私は成人してもまだわかっていなかった。(ごく幼い頃にはわかっていたのかもしれない)
成人の倍くらいの時間が経ってはじめて、
それが地に足のついた感覚を得るための、おそらくたったひとつの方法だろうと感覚でわかった。


困ったことに、
考えないことが歓迎される場 というのが、世の中にはわりと存在する。
考えない人をコントロールするのは
考える人をコントロールするより、はるかに簡単なので、
その場を動かす責任を持つ人が楽をしたい、問題に直面したくない、
(さらには、自分の立場を保持して享受しつづけたい)と考える場合、
その場の自分以外のメンバーに対して考えないことを奨励し、
ときには考える人を攻めたり排除したりしようとすることがある。


そのような場に、他の選択肢を持たずに入った人は、考える行為を放棄することを
生きる手段として学ばざるを得ない。
そのような卑劣な圧力があったことを自覚できるならまだしも、
無自覚に、考えないことで生きていくよう習慣化した場合には最悪だ。
自分の手で「考える」習慣をあとから取り戻すことさえ難しくなる。
考えはじめようとしたときに本人の中で危険信号が鳴り、
その仕事はあなたの担当ではない、
考えるならばあなたは自分の居場所を失うおそれがある、と
記憶が訴えてくるから。


自分で納得がいくまで考えて行動する、という、
自然に考えれば、大人であれば誰もが責任感を持ってやるべきことについて、
多くの人々が放棄しているように見えるのは、
そういう人たちがもともといい加減なのでもなにか足りないのでもなくて、
育つ過程のどこかで体にしみこむまで、考えるなというメッセージを
受け取っているからではないかと、私はときどき思うのだ。


なんだかこう書くとおおげさだけれど、
ろくでもない教師のいる教室やろくでもない親のいる家庭やろくでもない上司のいる会社で、
考えないことを歓迎する場はごくカジュアルに作られているはずだ。


たとえば友人と話していて、困った同僚の話を聞いたのだけれど。
その人はきちんと教育も受けているし、挨拶や敬語使いなども普通にできる。
依頼された作業はきちんとやる。
でも、担当の仕事について自分で判断することがまったくというほど無いのだそうだ。
本人が担当し、本人だけがすべてを把握してやりとりしている件についてでも、
判断を他人に依頼する。
そして、自然に考えたらAという対処になるでしょうからそれでお願いというと
腑に落ちない様子。しかし依頼についてはきちんと処理をする。
でも、その後同様な事柄があっても決して自分では決めないし、
逆に自分で決めてというと困惑と屈辱感を混ぜたような顔をして、
さらに「自分で考えて」と言って待っていると、意外なほど不適切な判断をする。
いつまでたっても、もう2年ほど一緒に働いていても、ずっと変わらないそうだ。
どのようにサポートしていいかわからないと友人は言う。


たぶんだけど、どちらの気持ちも私にはわかる。
考えることについて阻止されずに育った人にとっては、
考えないでいることによって生きてこられた(つまり考えたら排除される)と信じている人の
行動は謎だし迷惑だ。
考えないよう教育されてきた人にとっては、
日常的に考える人からの「ふつーに考えてみてよ」という要望は、自分の生活の安全をゆるがす、
(そのくせその後の保障などしてくれなそうな)恐ろしい提案に見えるのだ。


で、どうすればいい?


私はこう思う。
考えないようにして生きてきた人は、訓練で生活のために考えを放棄してはきたけれど
息苦しさを感じているはずだ。
「考えて」と言われたときの恐怖や困惑と屈辱感は、
今まで考えないでやってきたこととの辻褄は誰が取ってくれるのか、
誰もとらないじゃないか!という怒りが形を変えたものではないだろうか。
その感情といったん向き合い、そして、すべて保留して、
とにかく考えてしまうのだ。


どうなる?
何も起きない。
かつて教え込まれたように、攻められたり排除されたりすることがなく、
自分の中にあった、眠らせていた論理性が満足する快感を覚え、
そして、よい選択ができて自分も周囲も利益を得る。
いまいる場所がろくでもない人の権力化にあるのでなければ、そうなる。


そのことを一度体感してしまえば、事態は動きだす。
それは簡単なことではない、が、単純なことだ。
あらゆる感情をいったん棚上げして、考えはじめてしまうこと。
それによって、なにかを捨てなければならない結論にたどりつくかもしれない。
それなら、捨てたらいいのではないか。
簡単に捨てられないなら、保留にすることを「自分の責任で考えて」選んだっていいのだ。
考え始めれば、そういうことが次々にわかってくる。
なぜそう書くかといえば、私がそうやって考えることを取り戻したからだ。


再び考えはじめるのは本人にしかできない。
周囲は、ここはろくでもない場所なんかじゃないと示して待つくらいしか
きっとできることはないのではないか。
そうして考えてみると、本人もつらいけれど、周囲もつらい。


人をひとり、考えることを放棄させるまでに使うコストはどのくらいだろう。
時期や方法を選べば、かなり低コストでできるんじゃないか。数人月くらいとか。
それによって社会が蒙る損害はどれくらいだろう。
本人のパワーにもよるが、数十年、責任を取る仕事(暮らしも)ができないこともありえる。
その周囲の人がサポートに費やすコストもばかにならない。
それで誰がどれくらい得をする?
ろくでもない人間がひとりか数人、よい気分でいるだけだ。
(本質的に豊かにはならないだろう、使えない人材を手元に置くわけだから)


こういう構造が存在し得ることを誰もが認識して、
自分は他人に考えを放棄させるような行動を一切しないし、
誰かが自分にそのように接してきたらそれは人類にとって無駄なことで従うべきでないと、
ひとりひとりが意識するならば、
世の中の生産性はずっと上がるだろう…
と、わたしは本気で考えている。

うそおっしゃい

このところ仕事やプライベートでいろいろな人に会ったり、
これまで読んだ種類のない本を読んだりして、
あらためて思い当たったことがある。

平等という幻想が、いかに有害かということ。

男女が平等であるとか。
生まれ(家系、個体差など)に起因する社会的な違いなどないとか。
すべての人に、望む方向に成長する機会が平等だとか。


うそおっしゃい。


体に恵まれなければスポーツでは不利だ。
実家の経済的余裕に恵まれなければ芸術系は不利だ。
人脈に恵まれなければビジネスでは不利だ。
社会的・対面的スキルや各種のリテラシーを獲得できない状況で育ったら、
他者とやりとりするすべての分野において致命的に不利だ。
やりたいことに対して不利な点があるなら、
認識して自力で対処していくしかないのだ。
平等なはずだと目をつぶっていたら永遠に差を埋めることができないだろう。
また、自分より遅れてやってきた誰かに対して
適切な手助けをしようとしたとき、その人の背景、それによる格差を
理解も想像もできなかったとしたら、
はたして適切な選択ができるだろうか。


義務教育までは、ものすごくいろいろおまけして仮に平等であるとしても
その先に出ていく世界でのスタートラインは既に、
いろいろなモノサシで角度は違うけれど、
互いの姿が見えないほど遠く離れている存在があるのが、ほんとうのところだろう。

努力しても進みの遅い自分の状況があったとして、
スタートラインの違うライバルとの格差を
平等なはずという思い込みから直視できなかったとしたら、
どれほど時間を無駄にし、自分の力を疑ってしてしまうことだろう。


素敵だなあと思ういろいろな人の話を見聞きすると、
人生のどこかでコストをかけて、その幻想に見切りをつけて
自分の判断で歩き始めるときがあるように見える。


そこに至るまでの道のりで自信を失い、人生の時間を浪費した人の数だって
少なくはないだろう。
また、苦しむ人を支援しようとしながら格差を直視しなかったために
適切な対処がとれず、無駄になったコストも少なくはないだろう。
そう想像すると、
日本人は平等であるという幻想の罪は重いのではないかと今思っている。
その幻想が流布したのは、なぜだったんだろう。
それで誰が得をしたんだろう。


せめて私は今からでも、自分の不利なポイントを直視しておこうと思う。
そして子どもにも、あるがままの社会について考えて把握していくことを
勧めていき、私にいま見えているところまでは見せる協力をするつもりだ。
格差社会が「やってくる」のではなく、今ここにある格差で
私はすでに多くの面で不利を蒙っている。
それが今後もっと広がりそうだということなのだろう。
それでも、私が掴めるチャンスもいくつもある。
チャンスを掴んで、格差を越えていくような行動を自分が選ぶためには
格差があるという認識があることが前提で、
そこまではたどり着いたというところなんじゃないかなあ。


思えば長いこと幻想に苦しんできたなあ。15年くらいか。もっとかも。
見えない理由を探して自分を疑ったりもして苦しんでいたその期間を、
現実に直面して腰をすえて対策を練り行動することができたとしたら、
どれほど私は変わっていただろう。
でも、これからできることを考えていく。
自分自身のことと、子どもとか子ども世代のこととか。

休日はもどかしい

年末年始は子どもと私が交互に熱を出したりしているうちに、なんとなく過ぎた。
おかげで体を休めることができたのは、とても良いことだった気がする。
成人式の連休は体調は崩さなかったけれど、なにをした?と考えると、
買い物、家事、美容院。録画してた映画を見るとか。子どもと過ごすとか。
休むべきタイミングだったのかな。


娘は休日のママの時間は自分のものと感じているらしく、
このごろは休日といえば一緒になにかすることを計画して提案してくる。
これまで何度かそういう週末があって、
私は私でやりたいこと、やらなきゃならないことがあると主張して
それなりに時間を確保しようとしたけれど、
読書も音楽鑑賞も学習もPCメンテも、ブログ書きでさえ、
とにかく、集中を要するものについては
満足いく結果は出せなかった。
やろうと思っていたことは中途半端に終わって私は不満だし、
娘は娘で、ママと過ごすはずの休日までガマンしなきゃならなかった、と、
淋しい気持ちを持ってしまう。
いいところなし、なのだ。


正直、もどかしい。
工夫の余地はもちろんあるだろうけれど、
休日に高い目標を設定するのは、現状では、
正直、娘も私も疲れるし、無理がある。
もうひとり成熟したパートナーがいたら話は別かもしれないけど、
いや成熟してなくても子どもみてくれる人がいたら違うのかもしれないけど、
っていうか私にもっと経済力があって、よいシッターさんがいれば済む話だけど、
今ないものを望んでも始まらない。


平日はときには深夜残業もする私としては
これ以上娘にガマンさせるのもよくないかと思い切り、このごろは休みといえば
子どもの興味を持つことに一緒に没頭することにしてみている。
たとえば、同じ映画を見てみる。一緒にゲームをする。手芸をし、お菓子を作る。
この休日にしたことといえば、マリオパーティーをやるとか、
ポケモンダイヤモンドを数時間遊んでジムバッジ3個をゲットするとか
ココアをていねいにいれるとか、ぬいぐるみを2体作るとか、してみた。
もちろん、それ自体はおもしろいんである。
さすがに、メジャーになるまでに作りこまれたものたちは品質が高いし、
ものを作るのは単純にしあわせである。
でも。
そうやって遊んでいると、そのうち、むずむずしてくるのだけど
この感覚を理解共有してくれるひとは、どれくらいいるだろう。


その居心地の悪さは、
私が受身になることを歓迎する刺激によるものだ。
本質的なことを考えないで、与えられたもので楽しんでいらっしゃい、
半分眠ったまま生きていてもいいよ、ずっと、楽しませてあげるから。
そういうふうに感じるのだ。
眠くないのに、
どうぞ、おやすみなさい、と布団をかけられてとんとん叩かれているみたいな
すみません、私起きていたいです感が湧いてくるのだ。


その感覚を軽く抑えつつ、子どもとの休日を楽しむのは
ちょっとしたMモードだ。
動きたい欲にかられるエネルギーを貯めることは、
上手に使えば、平日のダッシュを助けてくれるような気がする。
(それで平日にまたなにかもどかしい事態になると苦しいけどね)


たぶんあと数年したら、娘は娘の世界で生きるようになって
こんな時期は懐かしいものになるだろうけど。
私は今だって走っていたくて、もがいているところ。
タイムハックもそれなりにやっているけど、
試しにやってみたこと自体の満足感以上の手ごたえは、まだ、ないなあ。
通勤時間中に音楽聴きながら本を読むのは悪くないけど、
その程度の工夫は10代からずっとやってるし。


本気で働いたり学んだりできる平日があるだけ、
私はしあわせなのだろうか。
このもどかしい感覚は、子育てに関わっている人なら共有しているのだろうか。
Yesなら、そんな現状ってまずくはないだろうか。
 大人が子育てを心から楽しまないならば、
 子どもは自分の存在自体を申し訳なく感じることがあるだろう。
 それが、子どもの人格形成にいいはずがない。
Noなら、なぜ私は苦しいんだろうか。


ほんと、もどかしいなあ、というのがここ2ヶ月くらいの実感です。あれっ、そんなに短いのか。
もうちょっとこの感覚とつきあってみます。